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まちなかステージづくり

地元民が大活躍!新潟県十日町市「分じろう・十じろう」ができるまで(2)

地元民が大活躍!新潟県十日町市「分じろう・十じろう」ができるまで(2)

建築士会の発案を発端に、市民発信型の「場づくり」が進められた新潟県十日町市。施設設計を担当する青木淳建築計画事務所の常駐場である設計事務所は、「ブンシツ」と名付けられ、市民が意見を伝える場所、さらには市民がワークショップやパーティーなど様々な用途で使える場所として機能していきます。

まちなかステージ応援団の結成

そんなブンシツを使った市民活動と平行して、「分じろう」「十じろう」の設計にも引き続き市民が関わっていったようですが、実際どのように市民の意見を取り入れていたのでしょうか?引き続き、studio-H5の阿部さんと韮澤さんにうかがいました。

韮澤さん「施設の細かなデザインを設計者と一緒に考えたり話し合いをするカタチ部と、実際の施設運営を考えるシクミ部に分かれ、それぞれの内容を市民ワークショプが取りまとめるという形にワークショップも進化していきました。

シクミ部では、若手からベテランまで、たくさんの市民の意見が出て、なかなかまとまらないこともありました。しかし意見の出し合いを重ねる中で、若手とベテランも結束していきました。そしてEn+Designのメンバーも合わせて『まちなかステージ応援団』という団体が、施設の完成目前に結成されました。今まで施設に対して意見を出してきた人たちが中心となって、今度は自分たちが意見した施設を実際に楽しんでいくための応援団ができたんです。」

▲『十日町市まちなかステージづくりの取組みについて』より

この「まちなかステージ応援団」からは、まちなかダンス部やまちなか手芸部などが生まれ、自らが積極的に施設を利用していくチームになっていきます。そしてここで、設計士の常駐場だった「ブンシツ」を市民が活用できる場所にした効果が現れます。

韮澤さん「みんな、『ブンシツ』を活用していろんなことをやってきたので、『分じろう』『十じろう』でも躊躇なくイベントを開催していったんです。施設の運営には、十日町で以前から市民活動をしていたNPO法人ひとサポが入りましたが、ひとサポで企画するイベントだけでなく、『こういうのやりたいんだけど出来る?』とまちなかステージ応援団を中心とする市民からの問い合わせでできた、たくさんのイベントで施設のスケジュールが埋まりました。このように、『ブンシツ』が予行練習の場所として、新しい施設活用のために機能したことが評価されて、グッドデザイン賞にも選んでいただきました。」

阿部さん「この一連のプロジェクトの大きな目的は、市民が自ら手を上げて行動を起こせる場所を作ることでした。“何かやりたいけどどうしたら良いか分からない”という市民が、自分のやりたいことになんでも気兼ねなく挑戦できる場所があれば、中心市街地はもっと変わるよね、と考えたのです。まちなかステージ応援団やNPO法人ひとサポが中心となって、“どうしたらいいかわからない”という垣根を取り払うことができたことで、自然な形で市民に施設の活用を浸透させることができたのだと思います。」

▲分じろう外観。(十日町市HPより)
「地元内外の人々への“発信”と“交流”を想定した施設」をコンセプトに、1階は情報ラウンジや国宝火焔型土器の展示などまちの文化や歴史の「発信」の場、2階には和室や茶室があり、交流の場となっている。

▲十じろう外観。(十日町市HPより)
「地元の人々の“活動”と“創作”のための施設」をコンセプトに、1階は多目的に創作活動を発表できるギャラリー、2階はワークショップでの意見を元にデザインされた間仕切で仕切られ、人数、目的に応じた使用が可能。そして3階は、創作スペース、工作スペースなど「創作」に特化した場となっている。

広く市民を巻き込む秘訣

形骸化してしまいがちな「箱づくり」。しかし、「まちなかステージづくり」では、広く市民に使用してもらう仕組みが施設の完成時にはすでに出来上がっていました。なぜこのように市民を広く巻き込んだ活動をすることができたのか、お二人に振り返っていただきました。

阿部さん「やはり気の合う仲間で始められたという部分は大きくて。僕たちも市役所に山崎亮さんの講演会の企画書を持っていった時は、まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。そもそも企画書も書くことも手探りから始まりましたが、そこからさらに手探りで1つ1つ乗り越えていく中で信頼関係を少しずつ築いて…。お互いに何が必要なのか、何が不足しているのかを補い合って作れた場でした。とにかく行動を起こして、腹を割って話し合える人たちを少しずつ増やしていくことができたから今があると思います。」

▲まちなかステージづくりの関係者のみなさん。

韮澤さん「僕も、studio-H5からEn+Design、そして『まちなかステージ応援団』と、どんどん仲間が増え、コーディネーターを受ける際には施設に愛着を持つたくさんの仲間が居たというのが、すごく心強かったですね。

僕は最近、活動する人の『立場を作ってあげること』が大切なのかもしれないと考えています。折り紙が趣味なおじいちゃんがいて、よく分じろうに持ってきてくれていたんです。『これは本当に凄いから子どもに教えてみませんか』と言って、『折り紙のおじいちゃん』になってもらったら、ますます元気になって、イベントで楽しそうに子ども達に折り紙を教えてくれるようになりました。『俺はこれだ』と、なにかを持った人はすごく強くて、そういうのを見つけて『〇〇の△△さん』と立場を作ってみると、どんどん力がみなぎっていくんですよ。」

次の世代を発掘する

建築士という本業を持ちながらまちづくりの活動に従事された二人ですが、その行動力の源には、施設を盛り上げたプレーヤーたちと同様、「十日町における立場を与えられたからかもしれない」と言います。そんな彼らも、活動を始めて10年。現在は次の世代を発掘し、引継ぎを始めているのだとか。

韮澤さん「活動開始から10年が経ち、僕たちも次の若い世代に引き継ぐ側になってきました。こんな意見を持っている子達がいるとか、ちょっとでもやりたいことがあれば話を聞かせてくれとか、若手がやりたいことをどんどん聞いて、少しずつ自分たちが背負ってたものを託しています。かたちは変えていってもらって構わないので想いを引き継ぐ感じですね。」

阿部さん「10年前は若手5人だったんですけど、10年経って若手じゃなくなって、もう邪魔な存在になってきたかなと。(笑)」

韮澤さん「今は、大学生の時から自ら企画してイベントを開く若者がいたり、何やら野望を抱いた30代がいたり、十日町はありがたいことに移住者が多いのですが、その移住者も力強い人たちばかりなんです。若手ばかりでなく、上の世代の人たちもまだすごいパワーを持っているので十日町はすごいですよ。(笑)」

studio-H5の行動をきっかけに、行政や市民を大きく巻き込み変化した十日町の中心市街地は、引き続き市民によるパワフルな催し物が溢れるまちであり続けそうです。市民の「やってみたい」を誘発させるには、箱づくりに止まらない、使われる仕組みや役割付けが重要であることが十日町の事例から学べます。

アバター
Writer西山 綾加

岐阜県出身。学生時代からイベント制作に携わり、制作会社勤務を経て、旅行会社に転職。社会人2年目、巡り合わせでライター業を始める。音楽コミュニティー「SHAKE HANDS」所属。座右の銘は「袖振り合うも他生の縁」。新たなご縁を求めてひとり旅に出ることが趣味。