ヒト:地元出身元アスリート
トコ:破綻寸前だった公営スキー場
コト:地元愛で地域の産業を未来につなげる
INDEX
スキー教育で培われたリーダーの素養
『野沢温泉スキー場』を村営から民営化へと移管し、19億7千万円という巨額の赤字を返済した『株式会社 野沢温泉』の初代代表・河野さん。その後の経営での舵取りを任されたのが、現社長の片桐さんです。
河野さんと同じく野沢温泉村出身で、中学卒業後は海外へのスキー留学などを経てオリンピック選手や監督として世界を遠征。スキークラブの会長も務めました。お二人とも野沢温泉村の出身でトップアスリートとして活躍し、国内外のスキー事情に精通しているという共通点を持ちます。
「世界と肩を並べるスノーリゾートとして海外からゲストを迎えるには、野沢温泉村出身でありつつ広い世界を見てきた人材が適任です。その点、片桐社長は村の中学校を卒業後にヨーロッパへ渡り、スキー選手としてオリンピックに2回も出場。その後は選手を連れて海外を転戦し、海外のスノーリゾート事情を知る人物。まさに適任でした」と推薦した理由を語る河野さん。
一方、白羽の矢が立った片桐さんはどのような胸中だったのでしょう。
「社長をやるような器ではなかったのですが、スキークラブの会長職を河野さんの2代後に私が務めていた関係もありまして。河野さんにスキー場経営の重責をずっと任せるわけにはいかないというわけで。それにこのスキー場は村の主幹産業ですから、会社だけでなく野沢温泉全体を良くすることが最大のミッションと言えます。村の歴史的な背景や状況をふまえ、未来のことを総合的に考えていかなければなりません。そうしたこともあって野沢温泉村にバックボーンを持つ私が社長職を引き継ぐことにしました」(片桐さん)
2023年現在、日本にはロープウェイやゴンドラ、リフトといった索道(さくどう)を持つスキー場400以上あるといわれていますが、その中でも『野沢温泉スキー場』は、経営の成り立ちが他とは全く異なると河野さんは言います。「他のスノーリゾートの場合、大手企業が山を買ってゲレンデを作り、その周りにホテルや駐車場を作る。そこに地元の意見は反映されづらい一方、企業が撤退しても地元が消滅してしまうことはありません。ところが、野沢温泉スキー場の場合は違います。このスキー場が潰れれば野沢温泉村全体がダメになるという、いわば運命共同体の関係にあります。スキー場経営を通して村の未来、村民の運命を担うという覚悟がないと、ここの社長職なんて到底引き受けられません」
それでも社長職の重責を引き受け、リーダーシップを取って来ることができた理由。それは「野沢温泉とスキークラブに育てられてきたことがベースとなっています」と、お二人は口を揃えます。
教育と先行投資でスキーファンを育てる
この野沢温泉村では、地域の特性を生かして独自のスキー教育が取り入れられてきました。英語や数学と同じように必修科目としてスキー科があり、スキークラブから派遣された指導者によって本格的なスキー教育が行われてきたのです。それも技術だけではなく、教育面でもスキーが大きく関わり「スキーを通じて人を育てること」を教育の柱としている地域は全国的に見てもここだけ。こういった教育方針の結果、この人口わずか3,500人にも満たない村から、これまでに16人ものオリンピック選手を輩出してきました(2019年時点)。
村一丸となってスキーによる次世代育成を推し進める中、「我々が考えなければならないのは、子供たちにいかにスキーを親しんでもらうか」だと片桐社長は言います。「スキーなんて寒くて嫌だ」とならないよう、『野沢温泉スキー場』ではスキー授業が始まる就学前、3歳児までの幼児たちに無料のリフト券をプレゼント。さらに幼児だけではスキー場へ足を運べないため、同伴する保護者の分まで無料にしています。
「社内からは『そこまでしなくても』と懸念する声もありましたが、地域を支える人材を育てるための先行投資と思えば大した出費ではありません。たとえ成人して都会に出て行ったとしても、幼いころから慣れ親しんだスキー場に友達を連れて帰ってきてもらえれば、それだけで故郷への貢献になります。スキークラブの発足時から受け継いできた“人を育てる”とは、そういうことでもあります」(片桐さん)。
スキークラブに関わってきた人は、自らの仕事や家庭を犠牲にしてまでも野沢温泉村のため、そして日本スキーの発展のために尽くしてきた歴史があります。「広い視野を持って野沢温泉村や日本スキー界の未来を考えられる人材を育て、野沢温泉村の歴史を次に繋いでいくことが大事です」と二人は同調します。
そのために欠かせないのが、「これからも野沢温泉村にしかないオンリーワンの魅力を磨くこと」と声を揃える二人。オンリーワンの魅力とは一体、どのようなものでしょう。
そぞろ歩きしながら楽しむ『外湯文化』
大きなホテルもない村に、世界中からはるばるスキー客たちが訪れる理由。それは、この村でないとできない体験があるからにほかなりません。野沢温泉には一つの施設で全てが完結する大きなリゾートホテルはありませんが、そのぶんコンパクトな街並みが売りです。
パウダースノーを満喫したゲレンデの帰り道は、温泉まんじゅうを片手に温泉街へ。夕食は旅館でとるのもよし、外に出て赤提灯の暖簾をくぐるのもよし。温泉たまごの待ち時間には、地元の特産物が並ぶ商店街でお土産を物色……、こんな風に外に出て村全体を楽しんでもらう仕組みが自然とうまれています。こうしたコンパクトな村だからこそ、体験できる地元村民との交流が滞在客にとってのかけがえのない体験となっています。
また、野沢温泉村ならではの『外湯文化』も観光客にとって大きな魅力となっています。スキー場開発よりも以前からある共同浴場で、13の立ち寄り温泉を『湯仲間』と呼ばれる地域住民の団体が費用を出し合い、当番で掃除を行って利用してきました。本来は自分たちの生活用として大切に守り継いできた共同浴場を、観光客たちのために『外湯』として開放しているのです。
「単に無料で利用できる共同浴場というものではありません。もっと歴史の重みがあり、村を訪れてくださった方々へのおもてなしとして提供しています。これは私たちの貴重な財産であり、他のスキー場にはない魅力だと思います」と語る片桐さん。
このように昔からある文化や伝統を守り続け、地元の人たちのおもてなし精神によって成り立っている独自のコンテンツが『野沢温泉』の付加価値となっています。特に、歴史を重んじる欧米諸国の観光客のリピートに繋がっているそうです。
そしてもう一つ、地域の結束を深める役割として欠かせないのが、村に伝わる恒例行事『道祖神祭り』の存在です。
『道祖神祭り』によってつながる結束
子供の成長や厄払いを祈願する『道祖神(どうそしん)祭りは地元に300年続くとされる日本三大火祭りの一つで、国の重要無形民俗文化財となっています。村民にとってアイデンティティーともいえる伝統行事であり、このお祭りの準備や開催で同じ年代の仲間との絆や村への愛着がはぐくまれていると言っても過言ではありません。
2023年は見学者を村内の宿泊者に限定して開催されました。最大の見どころは『火祭りの攻防戦』で、高さ10メートルの社殿に火を付ける“攻撃役”の村民に対し、村出身で厄年を迎える男性たちが“守り役”となり、体を張って阻止。火祭りに参加できるのは村民に限られ、伝統を受け継ぐ地元の子どもたちも松明を持って火付けに加わります。
次世代のリーダー候補が着実に成長
雪とスキー、そぞろ歩き、外湯や祭りの文化。自分たちの土地にあるコンテンツをつなぎ合わせ、その相乗効果によって他にはない“オンリーワンの魅力”を打ち出してきた野沢温泉村。
地域活性において大切にしていることをお聞きすると、河野さんは「時代の流れを読みながら、変えるものと変えないものを見極め、取捨選択すること」。片桐さんは「ブレない考えを持つこと」だと語ります。
「時代背景によってニーズは変わります。それに対する柔軟な考え方と頑固に守り通す部分の見極めは結局、人がやるしかありません。地域で暮らす人たちがどう判断するかによって、100年先の未来が決まると言っても良い。そのためにも正しい判断ができる人を育てていく必要があるということです」(河野さん)
「世界中から足を運んでもらえるブランドとして認知されるためには、ブレない考えを持つことが大切です。インバウンドだからと勘違いをして短期的な戦略を打つと、土地が持っていた魅力を失ってしまうこともある。これまで経営をしてきた中で、そうして廃業したスキー場を数多く目にしてきました。私たちはインバウンドが盛り上がってきたからとコンテンツを作り上げたわけではありません。先人から守り継いできた資源を生かし、時代に合わせて少しずつバージョンアップした結果なのです」(片桐さん)
2020年、スキー場に世界最新鋭の新長坂ゴンドラリフトが完成。スケルトン式のキャビンで快適な空中散歩を楽しみながら、短時間で移動することができます。スキー人口が減少し、スキー場経営が全国的に厳しいなかでこのように大規模な設備投資を実現できたのは、本当に必要なものを見極めながら資金を蓄え、計画的に準備を進めてきたからこそ。
今後はスタッフを通年雇用できるよう、グリーンシーズンの活用も強化していく計画だと言います。そのためには「若い次世代による新しい発想力と行動力が欠かせません」と片桐さん。都心部以外の過疎化が全国的に深刻化する中、この村でも緩やかな人口減はあるものの、Uターンや移住をしてくる人たちも少なくないそう。野沢温泉村独自のスキー教育を受けて育ち、『道祖神祭り』によって故郷との強い繋がりを感じながら育った若者たちは、地元へ残って就職したり、家業を継いだりしています。また、地元で起業してこの村を変えてやろうと気概を持った若者もいます。
「そういう育ち方が少なからずできていることは、伝統文化の継承やスキー教育を通じて人を育ててきたことが間違ってなかったという証(あかし)だと思います」(河野さん)
バブル崩壊やスキーブームの終焉、新型コロナ拡大といった数々の困難に直面しながらも、村の基幹産業であるウインタースポーツを守り抜いてきたお二人。地方創生の成功事例といえば、その多くは秀でた才能を持つスーパーヒーローが登場しがちですが、この村では地元の人が主人公となって活躍し、次世代のリーダーへとバトンを渡しています。村一丸となって「人を育てる」という地道な取り組みが実を結び、『野沢温泉スキー場』と村の未来を100年先までつなぐ礎となっています。
【追記】フルサトドットコム編集部も道祖神祭りを取材しました!
2023年1月13日から15日まで編集部も取材をしてきました。
お祭りを運営するのは『三夜講(さんやこう)』と呼ばれる組織です。数え年で大厄の42歳が中心となり、41歳・40歳の年代がそれをサポートします。3学年が3年間一緒に祭りの準備をすることで強い仲間意識が生まれます。そこに本厄の25歳が加わります。
村民にとっての道祖神まつりは、一人前として認められる儀式です。
年代毎に役割があり、上級生が下級生の面倒をみて、下級生は上級生についていく……。この『三夜講』を通して、強い“仲間づくり”を経験します。
世代間の結束が、地元で家業を継ぐことや、地元で起業することにも繋がり、さらに、Uターンや移住する人たちにも影響しているのかもしれません。
1月13日「里引き」
野沢温泉村の山から切り出されたブナの木を温泉街を抜け、道祖神祭りの会場まで運びます。
『三夜講』と温泉街でアフタースノーを楽しむ観光客との、面白いコントラストが村のあちこちで見られます。
1月14日「社殿組み」
社殿は全て手作業で組み立てられます。天候によっては社殿が完成するのが明け方にまで及ぶ年もあるそうです。
1月15日「道祖神祭り本番」
家族総出で会場へ向かいます。
まつりの開始は子供たちの火付けです。必死に松明を握りしめ、親に背中を押されながら社殿に向かう子供たち。都会ではなかなか体験することが難しいこの幼少時代の原体験は、親への敬意や家族を大切にすることにつながるのかも知れません。
子供たちが終わると、いよいよ一番の見どころである大人の火付けになります。大厄の42歳は社殿の上から、そして本厄の25歳は社殿の下に陣取り、社殿に火をつけようとする攻撃役の村民から社殿を守る壮絶な攻防戦が始まります。
攻撃役は社殿に火をつけようと松明を振りかざし、幾度も突進していきます。厄年の男性陣は、体を張ってそれを阻止し、社殿を守ります。
1時間以上続く攻防戦は、松明が無くなったところで終了します。
見事社殿を守り切った厄年の男性たちを称え、会場は拍手喝采!ススで顔を真っ黒にし、涙を流して抱き合いながら、無事に役目を果たしたことを噛みしめていました。
文化と伝統を受け継ぐ経験の中で培われる、新たな未来を切り開く力が感じられました。
海外からの観光客もその迫力に強い魅力を感じていたこの道祖神祭り。現地でだからこそ感じられる熱い火の粉に圧倒される中、祭りは幕を閉じました。